2012年9月24日月曜日

オスプレイ配備反対!沖縄県民大会リポート


伊東 英雄が行く
オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会連帯ツアー

 大阪安保破棄実行委員会の企画で19名、ほかに民医連や個人などから合計27名で西淀川労連代表として沖縄県民大会に参加してきました。

 8日午後1時那覇空港に到着。第二次世界大戦の沖縄戦でもっとも多くの犠牲の出た南部戦跡めぐりをしてホテルへ。そこで全国からの参加者と沖縄統一連との学習・交流、その後夕食懇親会。五十川和洋衆議院8区予定候補者と同室で遅くまで泡盛を酌み交わしてから就寝。


野田首相にレッドカードを突きつけよう!

 大会当日(9日)、宜野湾市海浜公園の会場へと向かう。そこは人、人、人の波、あっという間に超満員、公園の外側森の中まで人、人、人・・・。レッドカードを突きつけるシンボルカラーは「」、赤のTシャツやタスキ、「オスプレイNO!」のプラカード、横断幕、それぞれの団体のノボリ旗などが会場を埋め尽くす。高々と揺れ動く西淀川労連の旗を見てきた住之江区で働いていたというAさんと握手を交わす。彼は定年退職でふるさとの沖縄で年金生活とのこと。

暑さに負けず、熱い思いで集まった!
 
 午前11時、カンカン照りの青い空の下、おじいちゃん・おばあちゃん・労働者・青年・親子連れなど汗びっしょりの「10万1千人」、熱気あふれる参加者のなか開会宣言がされた。超党派でまさに「島ぐるみ」の共同代表挨拶などがつづく、仲井真県知事の敵前逃亡にも負けず、沖縄国際大学3年生の加治工綾美さんが未来へのメッセージと題して発言、「この青い空は、アメリカのものでもなく、日本政府のものでもなく、私たち沖縄県民のものです。このきれいな空に軍用機を飛ばすことを私たちは許しません。・・・(中略)・・・基地もない素晴らしい沖縄の未来を切り開くために、私は若者の一人として、その実現の日まで頑張ることを決意します」と力強い決意表明に会場一杯大きな拍手につつまれました。最後に決議案を採択しガンバロウ三唱で県民大会を終了しました。 

一番右側で叫んでいるのが伊東英雄さん

 終了後、あまりの人の多さにバスまで40分もかかる。中村重一北谷町議員のガイドで米軍基地調査へと出発。嘉数高台からの普天間基地やキャンプ瑞慶覧など視察、思いやり予算で建てた「基地外住宅」を周り、最後に嘉手納「道の駅」屋上から嘉手納基地を視察する。

 私は初めて見る米軍基地の広大な広さにおどろきと途中で遭う迷彩服の米軍を見るたびに、ここは日本ではなく戦争をしている外国ではないかと錯覚するほどでした。ホテルへ戻りみんなで夜の街へ、泡盛とゴーヤチャンプルなどで沖縄の味覚を満喫。

大阪民医連の仲間たち

 10日()、実際に訓練している軍用機を見るため嘉手納基地へ、すると2機戦隊が耳をつんざくような轟音で真上を通過し基地周辺を旋回して着陸。20分間で8機が着陸、まさに戦場そのもの。

 つぎに辺野古の座り込み現場へと車を走らせる。地元の人と交流・激励。基地境界のフェンスには「基地反対」「オスプレイNO!」の横幕、垂れ幕、赤いリボンなどがぎっしり埋め尽くされている。持ってきた垂れ幕を怒りを込めてぶら下げる。

 どうしても行きたかった本島北部の「やんばる」にある東村高江と車は進む。昼過ぎ座り込みをしているヘリパッド建設予定ゲート前に到着。4キロ先の別のゲートから機材搬入しようとしているとの情報で移動、ゲート前で円陣での「デモ行進」、「シュプレヒコール」そして「座り込み」。午後3時まで地元の人と行動し、後ろ髪を引かれながらホテルへ帰る。この日も泡盛を求めて夜の街へ。
欠陥機オスプレイはいらない!

 沖縄最後の日、タクシーで南風原にある陸軍病院跡地(沖縄戦の時、人の力で掘った豪)見学に出発。運転手さんは大阪の人で10年前に配偶者のふるさと沖縄に来たとのこと、彼も一緒に豪の中を見学、案内人のおばさんが淡々と語る沖縄の悲惨な歴史に触れ目頭が熱くなる。豪入口の横には憲法9条の碑がありましたが復帰40年たった今でもアメリカの占領下にあり沖縄の人々が犠牲になっていることに憤りを感じながら空港まで送ってもらいました。

 4日間も沖縄の地にとどまり、初めて南から北まで見学をさせていただきました。沖縄の歴史を机上ではある程度知っているつもりでしたが沖縄の現実を自分の目で見て愕然とし勉強不足であることを痛感したところです。
沖縄の現実を知る

 私は今回の経験を力に、オスプレイ配備を許さない、高江のヘリパッド、辺野古への新基地も作らせない、普天間基地は即時撤去させる。そして米軍基地そのものが憲法9条に違反する立場で、すべてのおおもとである日米安保条約をなくし「憲法が花開く日本」をめざす運動に、全力を上げていきます。

 私は1950年沖永良部島(奄美諸島)で生まれ、高校卒業まで18年間与論島の南に沖縄を見て過ごしました。懐かしさと思い出がこみあげてきた旅行でした。今回の連帯ツアーに西淀川労連や多くのみなさんから募金をいただき、参加することができました。この場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございました。